大判例

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最高裁判所第一小法廷 昭和29年(オ)856号 判決 1956年9月13日

上告人 木谷美津子

被上告人 根津清三

主文

原判決を破棄し、本件を大阪高等裁判所に差戻す。

理由

上告訴訟代理人木崎為之の上告理由について。

原審の確定した事実によれば、「被上告人は昭和一一年頃上告人の母木谷数栄と情交関係を生じ以来約三年間一ヵ月三、四回宛これを継続し、その後は稍この関係は遠のいていたが、昭和一八年一月九日頃大阪ホテルにおいて情を通じた。しかるに数栄はその頃姙娠して医師の分娩予定日であつた同年九月三〇日に上告人を分娩したのである。そして数栄は昭和一七年一二月二五、六日頃より月経があり、その後に姙娠したのであるから受胎可能期間は昭和一八年一月三日頃より同月一〇日頃迄の間となり同月九日頃被上告人との間に性交があつたとすればそれは受胎可能期間中に相当すること明白であり、またABO式、MN式、Q式、S式、E式、Rh式、V式の各種血液型の検査並びに血清中の凝血素価と凝集素の分析の結果から見ると、被上告人と上告人との間に父子関係があつても矛盾することはないのである。しかも被上告人は昭和一八年二月頃数栄から姙娠の旨を告げられ、その後分娩までの間、数回数栄を訪ねており、出産の当時は上告人を見て自己の子でないと言つたこともなく、上告人を抱擁し或はむつぎを取替えるなど父親としての愛情を示したことがあるばかりなく、分娩費、生活費の一部を負担しているのであり、また年少時代からの知合であつた数栄の姉福本千賀子に対して、数栄の姙娠につき男として責任を持つ旨言明したことがある」というのである。

もとより認知請求の訴において原告は自己が被告の子であるとの事実につき立証責任を負うものであること勿論であるが、いわゆる立証責任とは要証事実が証明されなかつた場合、その事実につき立証責任を負う者の不利益において裁判がなされるというに過ぎないのであつて要証事実の証明ありたる場合には立証責任の問題を生ずる余地は存しないのである。本件において原審の確定した前示事実関係によれば一応上告人は被上告人の子たることを推認するに難くないのであつて他にこの推認を妨ぐべき別段の事情の存しない限り、上告人が被上告人の子であるとの事実は証明せられたものといわざるを得ない。

しかるに原審は、まず、判示鑑定の結果にもとずき「指紋検査においては上告人と数栄は共に蹄状紋の多いこと、甲種蹄状紋の出現部位及び隆線数の少い傾向などにおいて極めて類似点が多いが、上告人と被上告人の間には類似点が少く、被上告人は十指とも渦状紋であるに反し、上告人は左手の環指と小指に渦状紋があるのみで可成りの相違が、あり、又掌紋検査に付ても被上告人は7型、上告人は9型で主線の走り方も殆んど異つて居り、更に人類学的考察によつても上告人と数栄とは顏の輪廓、頭頂輪廓、観骨部、頭毛色、頭頂施毛、頭毛密度、眉毛、眼鼻、口、耳、手足等の細部に亘る総計三一点についての分類比較の内二六点において全く同一の所見を呈するに反し、上告人と被上告人は相似点は一〇点に達しないのであつて、両者の間に父子関係が存在すると考え難い所見になることが認められる」旨判示し、次いで「木谷数栄は大正四年生れで高等小学校卒業後数え年一八才のとき以来引続きバーの女給として勤めて来た者で結婚の経験は無く、昭和七年頃被上告人より紹介された和蘭商人プールなる者と情交関係を結んだことがあり、更に昭和一二年にも日蘭会商の一員として来朝した同人との間に同様の関係を結んだ結果姙娠し呼吸器疾患の理由で堕胎手術を受けたことがある」との事実を認定し、これ等の事実関係及び鑑定の結果に徴すれば、冒頭説示にかかる原審確定の事実関係の存在するに拘わらずいまだ上告人が被上告人の子であることを認定するに不十分であるとして、上告人の本訴請求を棄却したのである。

しかしながら、右木谷数栄の経歴に関する原審認定の事実は同人が上告人を受胎した当時被上告人以外の男子と情交関係のあつたことを推認せしめるものではなく、また判示指紋、掌紋及び人類学的考察上の結果の如きも、参考の一資料たり得るか否かは格別、それのみを以て本訴当事者間に父子関係の存在することを否定する資料となすことはできないのである。そしてそれ等を綜合考察しても、なお原審が自ら確定した前説示の事実関係から本訴当事者間の父子関係を推認することを妨げる別段の事情ありとなすには足りない。されば原審が前説示の如く本訴当事者間の父子関係の存在につき証明不十分であると判示したのは、経験則の適用を誤つた違法があるか、または理由にくいちがいがある違法があり、原判決は全部破棄を免れない。論旨は理由がある。

よつて民訴四〇七条一項に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 岩松三郎 裁判官 真野毅 裁判官 斎藤悠輔 裁判官 入江俊郎)

○昭和二九年(オ)第八五六号

上告人 木谷美津子

被上告人 根津清三

上告代理人木崎為之の上告理由

上告人は原審裁判に不服である。不服の点は根津清三と上告人との父子関係を否認する証拠として人類学的法則を著るしく独断的に、非常識に、且つ論理の飛躍を以て採用し解釈した点である。詳細は上告理由書の催告を俟つて補充するつもりであるが大体上告理由要旨は次の通りである。

一、原判決の盲点

(一) 原審判決で大体動かすことの出来ぬ事実は次の通りである。

1 血液型は殆んど全部父子関係を認めて差支ない。

2 受胎日と分娩の関係も上告人主張の通りである。又被上告人と上告人母との関係も上告人主張の通りである。

3 証人山本清子(バーの主人)は昭和十八年一月頃上告人の母は非常に真面目であつたと証言している。原判決も態々この証言を摘出して措信しているようである。この証言、福本千賀子の証言、上告人の母の証言を綜合して見ても、その頃他に男があつたといふ事実は全然見当らない。又男女の性的関係が秘密裡に行はれる関係から見て、上告人側としては、以上の証人の証言による外社会常識上木谷数栄の品行に関する限り他に立証の道なく、之によつて木谷数栄の非常に真面目であつたことは立証十分なりと断定出来る。

4 被上告人も、初めから他に男があつたといふ証拠はない。訴訟になつてから他の男を出し度いと思つても出せない。被上告人が赤坊を抱いた出産当時の情況を原判決について見るも当時他に男のあつたことは想像も出来ない。

(3)、(4)について原審が父子の関係を認めるに不十分である旨判示するも、之は人類学的見解から敗訴せしむる方針を定めて後の議論であつて、矛盾撞着と強弁曲論に過ぎない。

尚オランダ人との関係は被上告人が商売上から強要したものであり、時日は昔の話であり、昭和十八年には日本にいる筈がない。

(二) 第一審判決は以上の諸点で父子関係を認め上告人勝訴となつた。これが又従来判例のとり来つた態度であつた。

原審は然るに鑑定人石井敏政の人類学的研究を盾にとつて、上告人を敗訴させた。かくて上告人は父のあらざる人間となり、第二の耶蘇基督を再現せしむるに至つた。学問的に見て入らなくてもよろしい分野に入り過ぎたとも言へる。

(三) そこで問題になるのは右人類学的研究の証拠価値であり、父子の関係を定める自然法則の本体、つまり自然科学の父子関係決定の標準規格如何が重要となり、原審が採用した規準が果して、自然科学上妥当なりや否やの大課題が残ることになる。之が即ち原判決の盲点である。

二、人類学的標準規格は一定せりや

1 原判決は、指紋に関する点と、顏の細部、手足の細部総計三十一点中相似点は十点に達していない点とによつて父子関係は認められないと結論を下している。

2 鑑定人石井敏政の鑑定の結論は『父と母との性関係により適当に受胎しうることが確認出来れば父子関係を認めても矛盾しない』趣旨に解されるに拘らず、原審はことさらに、鑑定の総決算を無視して、人類学的見地のみを特に重視し父子関係の不存在を認定した。故に人類学の規準法則は此処に於いて、最大の注意を以て慎重に検討されなければならない。

3 我々は残念乍ら、親と子の関係を決定するために、

「人類学的定説」

のあることを知らない。従来親子関係を定めるには血液型に重点を置き、指紋や顏面の研究は参考程度に研究されているに過ぎぬ。

故に顏や手足の相似点何%から及第で何%以下は落第なり等の自然科学の法則は未だかつて聞いたことがない。

或は完全に相似点が無くても、親子関係がある場合もあろうし(隔世遺伝といふこともあり)、相似点が多数あつても他人のそら似といふこともあり、世界中似た顏は必ず一人はあるとも言はれ、又血液型などと違ひ、顏や手足の相違がどの位科学的に研究出来るものか、その辺まだ混屯としている状態ではないか。

要は「人類学的考察」といかめしく言つても、果してどの程度のことが、科学的法則として公認され、定説となり、学界を風靡し、真に権威あるものとなつているのか? 恐らくまだ暗中模索の程度にしか過ぎないのである。

4 然るに原審裁判官諸公(或は一人位必ず反対した人もあつたであろうが)驚くほど大胆にも

「右指紋掌紋及び人類学的考察より見ると、両者の間に父子関係が存在すると考え難い所見になることが認められる」

と認定し、人類学的考察なる科学的研究を絶対権威となし、他の血液型の完全一致等を一切無視して迄も父子関係を否定し、第二の耶蘇基督を再現せしめたのであり、上告人はその勇気には敬意を表すると雖も、その判断の軽卒、その論拠の薄弱、不安定に対しては、心より寒心に堪えない次第である。こんなことで父のない子を作つて貰つては困る。

三、原裁判所は軽卒にも不確定不安定なる自然法則らしきものを確定し安定せりと誤認曲解して父子の関係を否認したるものであるが、その誤認の法律的効果如何

一、重大なる法令違反と言へる、少くとも法令違反と同視出来る。

科学上の法則(ナチュラル・ロー)は、社会的法則(ソシアル・ロー)と同視すべきで、単なる常識や実験則などと同一視すべきではない。

二、或は厳格に見て法令違反ならずとするも、判断過程が著るしい非常識と矛盾と論理の飛躍があるのであるから到底破棄を免れぬのである。

四、原審判決は破棄して、も一度事実審に差戻して貰ひ人類学的考察について、現代日本並に世界の最高権威による学説、定説等をつぶさに研究調査の上、即ち科学的研究の最善をつくした後本件父子関係の認否を判断せらるべきものである。上告人は最高裁判所が世の父子関係決定に関し、その名にふさわしき権威ある判例を示されんことを期待する。

五、上告状記載の上告理由は大体原判決が人類学の法則にあらざるものを法則なりとして父子関係を否定したことを違法なりと述べているのであるが、上告人は更にこの点について左の通り敷衍し明確ならしめる。

人類学的に親子の関係を明にする方法として一定の顏面部位或は指紋を対比して、何点中何点の相似を検出し、その相似の%により、親子関係を認めて差支なき%と、到底親子関係を認め難い%との間に一線を劃する方法があり、右は東京大学の法医学教室等でよく行はれ法医学界に広く知られて居る。而してその一線を劃する方法は何千何百の実例をあつめて、厳密に研究し、

例へば相似5%の場合は65%親子関係は認め難いとか、相似3%の場合は95%親子関係を認め難いとか、相似80%の時は、親子関係を認め難い率は5%とかいふ風に(数字は全部上告代理人の仮説)無数の実例によつて科学的に近似する、数字を出している。

人類学的といつても、顏面部位の相似などは、老幼男女によつて異なり、隔世遺伝といふこともあり、所謂人相学に類するもので、本質的に科学と称すべきではないが、何千のデータに基いて統計をとつた結果所謂科学的に近似する法則を発見して鑑定に応用するのである。然るに控訴審に於ける人類学的の鑑定は何点中何点の相似なるが故に親子関係は認め難いといふ飛躍的結論であつて、父子関係を認める、認めぬの一線に関する結論、即ち、相似の%に基き一歩進んだところの父子関係の認、否認の実験則に基く%に論及しないことは、全く未完成の鑑定といふべく、即ち上告状に於いて、上告人が学説上確定しない、定説にもなつていない、人相学上の一データに過ぎないといふことで、鑑定の方法及結論を批難したのは以上の根拠から論及しているのである。

六、而して原判決がかかる未完成にして、単なる非科学的資料にすぎざるものを人類学的法則として採用したことは由々しき大問題である。乱暴とも軽卒とも申しようなき自然法則適用のあやまりと断ずべきである。

七、以上述べた所は民事訴訟法第三百九十五条第六号に所謂判決の理由に齟齬ある場合に該当するものである。

仮に然らずとするも、原判決の判断は著しく自然法則上の論理、経験則に違反し、判決に影響を及ぼすこと明かであるから破棄さるべきである。 以上

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